三千家とは②~武者小路千家
武者小路千家(むしゃこうじせんけ)は、茶道流派の一つです。表千家・裏千家・武者小路千家を総して三千家と呼ぶ事は別項ににて説明しました。
本家が表千家であり、分家が武者小路千家と裏千家です。
宗家は京都市上京区武者小路通り小川東入にあり、この所在地が武者小路千家の名の由来である。
そして武者小路千家の茶室は官休庵(かんきゅうあん)と呼ばれています。
それでは簡単に武者小路千家(むしゃこうじせんけ)の歴史を紹介します。
4代一翁宗守は、最初は兄である宗拙同様に家を出て、武者小路あたりの吉文字屋という塗師の家へ養子として入り吉岡甚右衛門と称していた。
しかし宗旦の最晩年には江岑宗左とともに行動しており、自身の還暦を前に千家の茶の世界に戻り、兄弟の勧めもあって官休庵をひらいたようである。そして武者小路千家の家元は高松藩の茶道指南役に就いた事で有名です。
7代直斎は武家出身の養子であるが、同時代の表千家7代如心斎や裏千家8代一燈宗室らとともに、家元制度を整備し多くの門人を受け入れ、中興と称されます。しかし天明の大火や幕末兵火などによりたびたび焼失を繰り返し、そのたび再建を繰り返している。
明治になって11代一指斎が没した後、幼くして養子であった12代愈好斎は表千家に引き取られ、武者小路千家は一時中絶していた。しかし愈好斎は東京帝国大学で国史学を修め、卒業後に武者小路千家を再興しました。
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