茶道の歴史その⑤
茶道を大成させた千利休は秀吉の茶頭となり、天下の茶道指南となります。利休は紹鴎の侘び茶を更に発展させ、長次郎に手びねりの楽焼茶碗をつくらせ又、茶室の躙口(にじりぐち)を考案したが、秀吉の逆鱗に触れ天正19年(1591年)切腹を命じられます。
千利休の死後、二代少庵宗淳(しょうあんそうじゅん)を経て、千利休の孫になる三代元伯宗旦(げんぱくそうたん)の隠居とともに、次男の一翁宗守(いちおうそうしゅ)、三男の江岑宗左(こうしんそうさ)、四男の仙叟宗室(せんそうそうしつ)がそれぞれ、官休庵、不審庵、今日庵として千利休以来の道統を継ぎ、官休庵は武者小路千家、不審庵は表千家、今日庵は裏千家の三千家に分かれました。
その後、遠州流・石州流を始めとした様々な流派も生まれ、今日に至っています。